富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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久しぶりにブログをアップしましたが・・・、忙しいのと書くことがまとまらずで(泣)本当に困っていました。私は、日記と言うのが非常に苦手でして、これでも良く続いていると思っている所です。
さて、四月に入り新生活をスタートされた方も多くいます。また、各企業で入社式が行われていましたが、外国の方が、日本の企業に多く勤められる姿を見て、時代の変遷を感じた方も多くおられるのではないでしょうか。企業は優秀な人材を採用したく、日本人であっても優遇することはありません。
むしろグローバル化により、積極的に外国の方を優遇することも考えられます。十年程前までは、外国から安い品物が入り喜んでいたものですが、品物を買えば買うほど日本人の雇用がなくなっていく状況に、これからの日本が生き残っていくにはどうしたら良いのか?と考えてしまいます。
同時に、企業とは、全く違う分野である寺院においても、これから生き残っていくことを考えることにおいては、同じことが言えるのではないかと思うことであります。これからの寺院というか僧侶も国際化が求められるかもしれませんね。
さて、四月に入り新生活をスタートされた方も多くいます。また、各企業で入社式が行われていましたが、外国の方が、日本の企業に多く勤められる姿を見て、時代の変遷を感じた方も多くおられるのではないでしょうか。企業は優秀な人材を採用したく、日本人であっても優遇することはありません。
むしろグローバル化により、積極的に外国の方を優遇することも考えられます。十年程前までは、外国から安い品物が入り喜んでいたものですが、品物を買えば買うほど日本人の雇用がなくなっていく状況に、これからの日本が生き残っていくにはどうしたら良いのか?と考えてしまいます。
同時に、企業とは、全く違う分野である寺院においても、これから生き残っていくことを考えることにおいては、同じことが言えるのではないかと思うことであります。これからの寺院というか僧侶も国際化が求められるかもしれませんね。
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東日本大震災から、ちょうど1年が過ぎた3月11日に仙台で研修会があり、参加してきました。もちろんボランティア活動についてです。様々な方の1年間の取組みや、現在の状況を学びました。そこで印象に残ったことをひとつ挙げると、「公平性を保つことが時には活動の妨げになる」ということです。どうしても行政は平等に支援をしていかなければならないようです。
しかし、そのために、物資が必要数にならないと支援ができないということもあるようです。そこをカバーしていくことの重要性が求められているとのこと。また、支援物資の希望が刻々と変わっているということ等があるようです。
残念ながら悪天候のため翌日のボランティア活動はできませんでしたが、被災した地域を視察し、いつもより多くの商品を買って帰りました。
しかし、そのために、物資が必要数にならないと支援ができないということもあるようです。そこをカバーしていくことの重要性が求められているとのこと。また、支援物資の希望が刻々と変わっているということ等があるようです。
残念ながら悪天候のため翌日のボランティア活動はできませんでしたが、被災した地域を視察し、いつもより多くの商品を買って帰りました。
東日本大震災から一年が経とうとしています。どのような一年だったのでしょうか。被災された方は、一日でも早く元の生活に戻れることを願っていることだと思います。この震災によって、自分さえよければ、周りの人はどうでもいいという生き方や価値観があらためて問われている中、あいも変わらず復興によって日本は発展していくだとか、経済効果は何十兆円にもなるとかと、様々な報道がされています。
もちろん復興はとても大事ですし、豊かに暮らしたいというのも当然考えていくことかもしれません。しかし、そこに心が伴っているのか、本当に被災者が望んでいることなのか・・・、時間の経過とともに、震災によって見直されてきたはずの私たちの生き方や価値観が元に戻るようなことがあってはならないと思うことです。
もちろん復興はとても大事ですし、豊かに暮らしたいというのも当然考えていくことかもしれません。しかし、そこに心が伴っているのか、本当に被災者が望んでいることなのか・・・、時間の経過とともに、震災によって見直されてきたはずの私たちの生き方や価値観が元に戻るようなことがあってはならないと思うことです。
wtさんどうもありがとうございます。ブログを読んでいただける方がおられるのは本当にありがたいことです。これからも気付いたことは書いていきたいと思います。なるべく仏教のことを書いていきたいと思いますが、的外れなこともあるかと思います・・・。
また、機会がありましたらこのブログを見てください(笑)
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長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)という言葉があります。「金持ちが見栄を張って差し出す大量の寄進より、たとえわずかでも貧乏人が心を込めて捧げる寄進の方がまさっているということ。
これは、供養を終えたお釈迦様の帰り道を照らそうとして、阿闍世王(あじゃせおう)が灯した万の灯明の多くは消えてしまったが、貧しい老女が工面して灯したただ一つの灯明は終夜消えず、明け方になってもますます明るく光続けたという」という言い伝えですが、皆さんはどう思われましたか?
もちろん、貧しい老女は素晴らしいです。しかし、私は、見栄を張っても差し出す金持ちも素晴らしいのではと思うのです。そもそもどちらがすぐれているかなどは、どうでもいいことだと思っています。寄進はできる方がその心をもって、することだから、見栄を張っても、わずかでも両方尊いことだと思います。
お二方とも自分のためにではなく、人のためにしていること、これが最も尊いことなのではないでしょうか?
これは、供養を終えたお釈迦様の帰り道を照らそうとして、阿闍世王(あじゃせおう)が灯した万の灯明の多くは消えてしまったが、貧しい老女が工面して灯したただ一つの灯明は終夜消えず、明け方になってもますます明るく光続けたという」という言い伝えですが、皆さんはどう思われましたか?
もちろん、貧しい老女は素晴らしいです。しかし、私は、見栄を張っても差し出す金持ちも素晴らしいのではと思うのです。そもそもどちらがすぐれているかなどは、どうでもいいことだと思っています。寄進はできる方がその心をもって、することだから、見栄を張っても、わずかでも両方尊いことだと思います。
お二方とも自分のためにではなく、人のためにしていること、これが最も尊いことなのではないでしょうか?