富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)という言葉があります。「金持ちが見栄を張って差し出す大量の寄進より、たとえわずかでも貧乏人が心を込めて捧げる寄進の方がまさっているということ。
これは、供養を終えたお釈迦様の帰り道を照らそうとして、阿闍世王(あじゃせおう)が灯した万の灯明の多くは消えてしまったが、貧しい老女が工面して灯したただ一つの灯明は終夜消えず、明け方になってもますます明るく光続けたという」という言い伝えですが、皆さんはどう思われましたか?
もちろん、貧しい老女は素晴らしいです。しかし、私は、見栄を張っても差し出す金持ちも素晴らしいのではと思うのです。そもそもどちらがすぐれているかなどは、どうでもいいことだと思っています。寄進はできる方がその心をもって、することだから、見栄を張っても、わずかでも両方尊いことだと思います。
お二方とも自分のためにではなく、人のためにしていること、これが最も尊いことなのではないでしょうか?
これは、供養を終えたお釈迦様の帰り道を照らそうとして、阿闍世王(あじゃせおう)が灯した万の灯明の多くは消えてしまったが、貧しい老女が工面して灯したただ一つの灯明は終夜消えず、明け方になってもますます明るく光続けたという」という言い伝えですが、皆さんはどう思われましたか?
もちろん、貧しい老女は素晴らしいです。しかし、私は、見栄を張っても差し出す金持ちも素晴らしいのではと思うのです。そもそもどちらがすぐれているかなどは、どうでもいいことだと思っています。寄進はできる方がその心をもって、することだから、見栄を張っても、わずかでも両方尊いことだと思います。
お二方とも自分のためにではなく、人のためにしていること、これが最も尊いことなのではないでしょうか?
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