富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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ある研修会に参加したとき、講師の先生が言われました。「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」(一切の生きとし生けるものは、すべてみな、いつの時か父母であり、兄弟である)
これは、『歎異抄(たんにしょう)』という本の中にある親鸞聖人の言葉であります。私たちは、自分とその周り以外の人達には、他人として見てしまい、困ったことがあっても見て見ぬふりをしてしまうことがあるのではないでしょうか?「自分の知りあいではないから」「誰かがしてくれるだろう」と他人事のようになってしまいます。
そういう態度である私に早く気づいていきましょうというのが、この最初の言葉なのかもしれません。阿弥陀様に守られている私達ひとりひとりが、お念仏をいただく父母・兄弟として過ごしていきたいものです。
そうそう、この研修会である方が生物学の話をされ、DNAの配列から、人類の起源がひとりであると言われ、生物学に興味のない私でも印象に残ったお話でした。
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これは、『歎異抄(たんにしょう)』という本の中にある親鸞聖人の言葉であります。私たちは、自分とその周り以外の人達には、他人として見てしまい、困ったことがあっても見て見ぬふりをしてしまうことがあるのではないでしょうか?「自分の知りあいではないから」「誰かがしてくれるだろう」と他人事のようになってしまいます。
そういう態度である私に早く気づいていきましょうというのが、この最初の言葉なのかもしれません。阿弥陀様に守られている私達ひとりひとりが、お念仏をいただく父母・兄弟として過ごしていきたいものです。
そうそう、この研修会である方が生物学の話をされ、DNAの配列から、人類の起源がひとりであると言われ、生物学に興味のない私でも印象に残ったお話でした。
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