富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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北陸では、若い世代がマイホームを取得しようとする方が増えているようだ。来年四月から消費税が上がるであろうといわれている中、今のうちにという思いが強いからなのか。北陸、とりわけ富山県は持ち家率の高い県であるが、最近は空き家も多く、子供たちは地元を離れ、一人暮らしの方も多くなってきている。
何年か前、ロシアでは、家を提供したい一人暮らしの高齢者と家が欲しいという若い世代が他人同士で同居をしているという番組が放送をされていた。経済的な事情によるものだと思うが、日本では考えられないことだ。
理想論かもしれないが、マイホームの購入によって、核家族や夫婦だけで生活をしていくのではなく、地域や様々な世代の方と繋がっていくことが、どこで家を建ててもあってほしいことだと思う。
何年か前、ロシアでは、家を提供したい一人暮らしの高齢者と家が欲しいという若い世代が他人同士で同居をしているという番組が放送をされていた。経済的な事情によるものだと思うが、日本では考えられないことだ。
理想論かもしれないが、マイホームの購入によって、核家族や夫婦だけで生活をしていくのではなく、地域や様々な世代の方と繋がっていくことが、どこで家を建ててもあってほしいことだと思う。
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久しぶりにサッカーの試合を見た。引き分けであったが、日本がワールドカップ出場決定という試合で、ものすごく興奮した。思い起こすこと二十年前、この試合に勝てば日本がワールドカップ初出場という試合に引き分けて出場を逃し、とても残念な思いをしたのを覚えている。
当時の主力であった三浦和良選手は、現在も現役で活躍をしているが、その三浦選手が今回の出場が決まって言った言葉、「自分にも選ばれる権利がある」と・・・。
四十六歳というスポーツ選手としては高齢であっても、現役でいるからこそ出てくるこの言葉に、いつまでもモチベーションを保ち続けている素晴らしさと、私たち一人ひとりが今行なっている様々な活動も『生涯現役』で行っていきたいものだと思いました。
当時の主力であった三浦和良選手は、現在も現役で活躍をしているが、その三浦選手が今回の出場が決まって言った言葉、「自分にも選ばれる権利がある」と・・・。
四十六歳というスポーツ選手としては高齢であっても、現役でいるからこそ出てくるこの言葉に、いつまでもモチベーションを保ち続けている素晴らしさと、私たち一人ひとりが今行なっている様々な活動も『生涯現役』で行っていきたいものだと思いました。
飲食店の利用者が感想を投稿するホームページに事実と違う内容を投稿されたとして、飲食店経営の男性が、運営会社に店舗情報の削除と損害賠償を求め提訴しました。
このホームページとは、私たちが一定条件を満たせば、インターネット上において自由に利用した店の状況を投稿ができ、また店の情報が誰でもわかるというとても便利なものです。
しかし、店側にとって必ずしも良い情報だけが載るわけではないので、今回のようなトラブルに発展することはあるようです。
最近の私たちは、情報を鵜呑みにしすぎてしまい、誰かがある飲食店に対して、「料理が出てくるのが遅い」「おいしくない」等のような悪い情報を聞けば、行きもしないのに、噂で同じことを言ってしまうのでないかと思う。好みはそれぞれなので、自分の目で見て確かめて、「自分とは違う」「個性的である」等、評価の仕方も考えていかなければならないと、何気なく書いたマイナスの情報だけでもお客が激減するということを知らなければと思いました。
このホームページとは、私たちが一定条件を満たせば、インターネット上において自由に利用した店の状況を投稿ができ、また店の情報が誰でもわかるというとても便利なものです。
しかし、店側にとって必ずしも良い情報だけが載るわけではないので、今回のようなトラブルに発展することはあるようです。
最近の私たちは、情報を鵜呑みにしすぎてしまい、誰かがある飲食店に対して、「料理が出てくるのが遅い」「おいしくない」等のような悪い情報を聞けば、行きもしないのに、噂で同じことを言ってしまうのでないかと思う。好みはそれぞれなので、自分の目で見て確かめて、「自分とは違う」「個性的である」等、評価の仕方も考えていかなければならないと、何気なく書いたマイナスの情報だけでもお客が激減するということを知らなければと思いました。
どうしたらお寺に人が来るのか?
だんだんとお参りされる方が少なくなってきたと言われている中、ある仏壇店では、年に数回、七十名余りが参加している法話会を行っているということを聞きました。もちろん仏壇店ですから、仏壇を売ることも目的のひとつにはあるとは思います。
しかし、仏壇を売ることを目的にしていても法話会を開催し、仏さまのお話を皆さんに聞いてもらうことは、本来、寺院がしていかなければならないことであるはずです。
近年、報恩講等での法座の数が減ってきている中、寺がしない(できない)なら、私たちが率先して行っていこうという姿勢に対して、見習わなければならないと思ったことと、仏壇店での法話会の回数が増えてくると、ますます寺に人が来なくなってくるのではないかという危機感を覚えた出来事でありました。
だんだんとお参りされる方が少なくなってきたと言われている中、ある仏壇店では、年に数回、七十名余りが参加している法話会を行っているということを聞きました。もちろん仏壇店ですから、仏壇を売ることも目的のひとつにはあるとは思います。
しかし、仏壇を売ることを目的にしていても法話会を開催し、仏さまのお話を皆さんに聞いてもらうことは、本来、寺院がしていかなければならないことであるはずです。
近年、報恩講等での法座の数が減ってきている中、寺がしない(できない)なら、私たちが率先して行っていこうという姿勢に対して、見習わなければならないと思ったことと、仏壇店での法話会の回数が増えてくると、ますます寺に人が来なくなってくるのではないかという危機感を覚えた出来事でありました。
大阪の高校生が指導者の体罰で自殺をしたことがわかり、体罰は是か非か、様々なところで議論をよんでいます。この問題では、体罰は指導者にとって必要であると言われる方が多いようです。
しかし体罰によって、尊い命が失われることがあるのだということを、しっかりと認識していかないと大阪の高校と同じような事件がおきるのではと思っていた所、ある中学校の部活で体罰を二度としないと言った指導者が、生徒が上手になるためにという指導の下、再び体罰をしていたと言う話を聞いて、相当深刻な問題だと改めて思いました。幸いにも生徒に怪我などはなかったようです。
しかし体罰によって、尊い命が失われることがあるのだということを、しっかりと認識していかないと大阪の高校と同じような事件がおきるのではと思っていた所、ある中学校の部活で体罰を二度としないと言った指導者が、生徒が上手になるためにという指導の下、再び体罰をしていたと言う話を聞いて、相当深刻な問題だと改めて思いました。幸いにも生徒に怪我などはなかったようです。