富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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ある研修会に参加したとき、講師の先生が言われました。「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」(一切の生きとし生けるものは、すべてみな、いつの時か父母であり、兄弟である)
これは、『歎異抄(たんにしょう)』という本の中にある親鸞聖人の言葉であります。私たちは、自分とその周り以外の人達には、他人として見てしまい、困ったことがあっても見て見ぬふりをしてしまうことがあるのではないでしょうか?「自分の知りあいではないから」「誰かがしてくれるだろう」と他人事のようになってしまいます。
そういう態度である私に早く気づいていきましょうというのが、この最初の言葉なのかもしれません。阿弥陀様に守られている私達ひとりひとりが、お念仏をいただく父母・兄弟として過ごしていきたいものです。
そうそう、この研修会である方が生物学の話をされ、DNAの配列から、人類の起源がひとりであると言われ、生物学に興味のない私でも印象に残ったお話でした。
これは、『歎異抄(たんにしょう)』という本の中にある親鸞聖人の言葉であります。私たちは、自分とその周り以外の人達には、他人として見てしまい、困ったことがあっても見て見ぬふりをしてしまうことがあるのではないでしょうか?「自分の知りあいではないから」「誰かがしてくれるだろう」と他人事のようになってしまいます。
そういう態度である私に早く気づいていきましょうというのが、この最初の言葉なのかもしれません。阿弥陀様に守られている私達ひとりひとりが、お念仏をいただく父母・兄弟として過ごしていきたいものです。
そうそう、この研修会である方が生物学の話をされ、DNAの配列から、人類の起源がひとりであると言われ、生物学に興味のない私でも印象に残ったお話でした。
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1月16日、親鸞聖人750回大遠忌法要が円成(えんじょう;法要が無事勤め終わる)されました。大谷光真ご門主がご消息(おてがみ)を発布され、その中で「本願念仏のご法義は、時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が活きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。」というお言葉が印象に残りました。
阿弥陀様のはたらきは、何時いかなることがあっても変わりません。しかし、私たちが今住んでいるこの世界は諸行無常といい、あらゆるものはすべて移り変わっていきます。こんな世界だからこそ、この時代にあった私たちの生き方が必ずあるはずです。それをこれだと言って決めるのではなく、ひとりひとりが考えていくことが重要であると思います。
阿弥陀様のはたらきは、何時いかなることがあっても変わりません。しかし、私たちが今住んでいるこの世界は諸行無常といい、あらゆるものはすべて移り変わっていきます。こんな世界だからこそ、この時代にあった私たちの生き方が必ずあるはずです。それをこれだと言って決めるのではなく、ひとりひとりが考えていくことが重要であると思います。
二〇一二年も早2週間が過ぎました。早いものですね。今年は本当に災害の無い年であってほしいと切に願います。また、昨年と変わらず被災された方々への災害救援活動も続けて行かなければなりません。時が経つとどうしても忘れてしまいがちになってしまいます。特に富山外国語専門学校の多くの方が犠牲になったニュージーランドの地震、東日本大震災等の自然災害だけは忘れてはならないと改めて思うことです。
昨年末にオウム真理教の信者が出頭・逮捕となりメディアで大きく取り上げられていますが、十七年の歳月に指名手配されていたことも記憶にない方が多いのではなかったのでしょうか。警察にしても「まさか…」という思いだったのではないでしょうか。
しかし、「まさか…」という今まさに物事が目の前に迫っていることや予期しない緊急の事態にあることが、私たちにとっても身近に起こりうる出来事であるということを、日々忘れずに過ごして行きたいものです。私が望まなくても「まさか…」は常に降り注いできます。
昨年末にオウム真理教の信者が出頭・逮捕となりメディアで大きく取り上げられていますが、十七年の歳月に指名手配されていたことも記憶にない方が多いのではなかったのでしょうか。警察にしても「まさか…」という思いだったのではないでしょうか。
しかし、「まさか…」という今まさに物事が目の前に迫っていることや予期しない緊急の事態にあることが、私たちにとっても身近に起こりうる出来事であるということを、日々忘れずに過ごして行きたいものです。私が望まなくても「まさか…」は常に降り注いできます。
2012年になり、1週間余りが過ぎました。年末からブログの更新が止まってしまい・・・頻繁に更新しようと決めていたはずが全くできず、意志の弱さに情けない一言です。
この間、大掃除や近くの寺院の前坊守(住職のお連れ合い)の葬儀の手伝いと多忙を極めていましたが、更新する時間がなかったとは言えず、所謂、三日坊主を地で行く姿でした。そういえば、三日坊主ってどんな意味か知っていますか?三日修行すれば坊主になれるということではもちろんありません。
ある説によりますと、俗世間に耐えられなくなった人が、衝動的に坊主になり、お寺に入って修行をするのですが、厳しい修行に耐えられず、3日もしないうちに根を上げてしまったことから、三日坊主と言われたようです。
今年は、最低1週間に1回以上を目標に更新をしていきたいと思っていますが、どんな感じになっていくのでしょうか!?
この間、大掃除や近くの寺院の前坊守(住職のお連れ合い)の葬儀の手伝いと多忙を極めていましたが、更新する時間がなかったとは言えず、所謂、三日坊主を地で行く姿でした。そういえば、三日坊主ってどんな意味か知っていますか?三日修行すれば坊主になれるということではもちろんありません。
ある説によりますと、俗世間に耐えられなくなった人が、衝動的に坊主になり、お寺に入って修行をするのですが、厳しい修行に耐えられず、3日もしないうちに根を上げてしまったことから、三日坊主と言われたようです。
今年は、最低1週間に1回以上を目標に更新をしていきたいと思っていますが、どんな感じになっていくのでしょうか!?
ある街のファーストフードチェーンでマナーの悪さから高校生だけの入店が夕方から禁止されているようです。困ったものですね。一握りのルールを守らない人のために全体(高校生)が損をしてしまう。
しかし、これは高校生だけに限らずよくある話です。私たちはどうしても自分さえ良ければという心が勝ってしまい、後に使う人のことは考えたりしなくなっているのではないでしょうか?
今年の漢字は『絆』が選ばれました。人と人との断つことのできないつながりを『絆』と言いますが、この『絆』は、自分の知り合いだけではなく、知らない人にも大事にしていかなければならないことであると思ったことであります。
しかし、これは高校生だけに限らずよくある話です。私たちはどうしても自分さえ良ければという心が勝ってしまい、後に使う人のことは考えたりしなくなっているのではないでしょうか?
今年の漢字は『絆』が選ばれました。人と人との断つことのできないつながりを『絆』と言いますが、この『絆』は、自分の知り合いだけではなく、知らない人にも大事にしていかなければならないことであると思ったことであります。