富山県高岡市にある本龍寺のブログです
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最近見たコラムで「無駄」について書いてありました。質問者の会社の部署の仕事が「無駄」に思えてしかたがないということ。以前いた部署ではやりがいがあったようですが、今の部署にやりがいを感じられないことだそうです。
仕事をしていると無駄だと感じることがあるかもしれません。また仕事だけではなく、様々な所で感じるかもしれません。
しかし、「無駄」はダメなことでしょうか?私たちが生きていくには、多くの「無駄」を使って過ごしています。1日をふり返ってみても、どれほど「無駄」遣いをしていることか。この「無駄」って不思議だと思います。何が不思議かというと人によって無駄なものやことは違うからです。私は、学校の授業。習ったことが全く役に立っていない。しかし、もっと勉強しておけば良かったとも思う。一方では「無駄」だと思いながら、もう一方では必要と思う。こんなことってありませんか?
人によってそれぞれ違う「無駄」。だけども「無駄」だと思っていたことが「無駄」ではなくなる。この「無駄」というのが、いつでも必要なものや人に変わることができる素晴らしいものということに気づいていければと、コラムを見てそんな思いにさせられました。
なにせ無駄という言葉に反対語がないのだから・・・。
仕事をしていると無駄だと感じることがあるかもしれません。また仕事だけではなく、様々な所で感じるかもしれません。
しかし、「無駄」はダメなことでしょうか?私たちが生きていくには、多くの「無駄」を使って過ごしています。1日をふり返ってみても、どれほど「無駄」遣いをしていることか。この「無駄」って不思議だと思います。何が不思議かというと人によって無駄なものやことは違うからです。私は、学校の授業。習ったことが全く役に立っていない。しかし、もっと勉強しておけば良かったとも思う。一方では「無駄」だと思いながら、もう一方では必要と思う。こんなことってありませんか?
人によってそれぞれ違う「無駄」。だけども「無駄」だと思っていたことが「無駄」ではなくなる。この「無駄」というのが、いつでも必要なものや人に変わることができる素晴らしいものということに気づいていければと、コラムを見てそんな思いにさせられました。
なにせ無駄という言葉に反対語がないのだから・・・。
もみじさんコメントありがとうございます。好きな食べ物は・・・そうですね、「そば」です。秋とは関係ないのですが、25年来「そばアレルギー」だと思い込んでいました。それが、アレルギーではないことが最近わかり、よく食べています。
最近は、秋だからといって、旬のものがわからないですよね。スーパーにいってもどれが旬なのか!?
でもこの季節で一番おいしいものを思い出しました。それは、「新米」です。この時期に食べるお米は本当においしいです。意外と皆さんは気にとめないかもしれませんが、本当においしいです。どの銘柄もおいしいですが、やっぱり富山県産が一番です。
最近は、秋だからといって、旬のものがわからないですよね。スーパーにいってもどれが旬なのか!?
でもこの季節で一番おいしいものを思い出しました。それは、「新米」です。この時期に食べるお米は本当においしいです。意外と皆さんは気にとめないかもしれませんが、本当においしいです。どの銘柄もおいしいですが、やっぱり富山県産が一番です。
秋ですね。秋と言えば、私は当然、食欲の秋ですが、おいしいものを目の前にしてつい忘れてしまうことがありませんか?
それは「手を合わせて、いただきます。」という行為です。みなさんは毎回の食事に手を合わせていますか?
近年、食事をいただく前に、宗教的色合いが強いということで合掌をしなくなった学校があるようですが・・・、皆さんは「合掌、いただきます。」をされていますか?確かに合掌という行為は、仏教からきているものですが、悪いことなのでしょうか。
合掌はただ手を合わせるということではなく、相手に対して尊敬のあらわしであったり、食べ物をいただくということへの感謝の意味もあります。宗教的だからダメではなく、いつまでも続けていきたい形の一つではないでしょうか。
それは「手を合わせて、いただきます。」という行為です。みなさんは毎回の食事に手を合わせていますか?
近年、食事をいただく前に、宗教的色合いが強いということで合掌をしなくなった学校があるようですが・・・、皆さんは「合掌、いただきます。」をされていますか?確かに合掌という行為は、仏教からきているものですが、悪いことなのでしょうか。
合掌はただ手を合わせるということではなく、相手に対して尊敬のあらわしであったり、食べ物をいただくということへの感謝の意味もあります。宗教的だからダメではなく、いつまでも続けていきたい形の一つではないでしょうか。
今日は本龍寺の近くの寺院で、報恩講が勤まれております。
午前中には組内(そない)の若手を中心とした僧侶で音楽法要が勤まれました。
音楽法要とはその名の通り、音(リズム)にあわせてお勤めをすることです。お勤めしたのは、正信偈と和讃といって、親鸞聖人がまとめられた仏様を讃えたお言葉を中心としたものです。
今年は親鸞聖人がお浄土に還られてから750年目の年にあたり、京都にある浄土真宗本願寺派の本山、本願寺(通称;西本願寺)や真宗大谷派の本山、真宗本廟(通称;東本願寺)では、法要が営まれております。
京都に行かれた際は是非、お参りをお願いします。
午前中には組内(そない)の若手を中心とした僧侶で音楽法要が勤まれました。
音楽法要とはその名の通り、音(リズム)にあわせてお勤めをすることです。お勤めしたのは、正信偈と和讃といって、親鸞聖人がまとめられた仏様を讃えたお言葉を中心としたものです。
今年は親鸞聖人がお浄土に還られてから750年目の年にあたり、京都にある浄土真宗本願寺派の本山、本願寺(通称;西本願寺)や真宗大谷派の本山、真宗本廟(通称;東本願寺)では、法要が営まれております。
京都に行かれた際は是非、お参りをお願いします。